田原総一郎さんの記事「沖縄の怒りを甘くみてはいけない」を読んで、その中で触れられていたことに関して。
しかし実際に議論が始まるとそうならなかった。難しさを感じているうちに、パネリストの樋口耕太郎さんが、こう言った。
「沖縄の街は静かでしょう。それは車がめったにクラクションを鳴らさないからです。前の車が乱暴運転をしていたとき、他の街ではクラクションを鳴らすことがありますよね。しかし沖縄では、乱暴運転をした運転手よりも、鳴らした運転手のほうがとがめられる。はっきりと口に出して言われるわけではないが、とがめる顔つきをされる。実質的に、物事に対して声を上げた人間の方が、問題を起こした人間よりも社会的な圧力がかかる――沖縄とは、そういうところです」
たしかに沖縄で暮らしているとクラクションが鳴っているのを聞かない。危険運転に対してのクラクションとは別のお話になってしまうんですが、思ったこと書いてみます。
そもそも、僕は東京にいる時からそんなにクラクションを鳴らすわけではなかったけど、信号が青になってもそれに気づかない前の車に対してはクラクションで教える、くらいはしていた。けど、沖縄ではそんな場面でもクラクションを鳴らす人が少ない、という実感がある。僕もそんな空気を感じてか沖縄では、相手が青信号に気づかず動かなくても、20秒くらいは待つようになってきた。「鳴らした運転手のほうがとがめられる」から、というわけではなく「そこまで急いでない」というのが大きな理由だと思っている。(さすがに20秒以上になると逆に心配になって鳴らしますけども…)
自分のペースで生きられた方が心地いいのだけど、そこで「ペースを乱された」と思うより「そんなものか」と思う方がストレスが少ないし、むしろストレスを感じているから「ペースを乱された」という思考になるのかもしれない。沖縄で街を歩いていて、東京ほどの人口密度は無いし、移動にストレスを感じることは少ない。車に乗っているなら、自分の空間なわけでなおさらである。そんなわけで青信号に変わったけど5秒くらい動かない前の車にクラクションを鳴らすよりも「のんびりしてるな~」と思えばいい、というのが僕の考えだ。「狭い沖縄、そんなに急いでどこに行く?」とか「今の、本当に必要?」という感じなんじゃないかと…
危険運転へのクラクションはどうか… これはうちなーんちゅのマインドとは違うのかもしれないけど、危険を回避できたのであれば「もういい」と思っている。報復的なクラクションの使い方はしない。危険予測に対するクラクション、たとえば子供が遊びに夢中になっていて、道路に飛び出しそう、とか… これも、こちら側で予測できるのであれば、徐行したり、避けたりして対応できるから鳴らさないかなぁ… いずれにしても、クラクションを鳴らすことで、相手がビックリしちゃうとか、絡まれるとか、別のトラブルのスイッチが入ることもありそうだから、鳴らさないってのもあるかもしれないですけども…
おじさんの目線
道の真ん中で寝ている動物に対しては、鳴らすくらいですかね~。
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