行ってきましたよ、長崎は野母崎へ! そして無事に帰ってきました。ということで、何回かに分けて「のもざき再発見ツアー」の様子をご紹介したいと思います。
まずは1日目。午前中に羽田からの飛行機で長崎へ… 今回は旅の始まりを贅沢に始めることができました。
ANAのプレミアムラウンジを利用する餃子の王様・パラダイス山元さんについていき、普段は入れないエリアで、ビールや青汁をいただきつつ、搭乗を待ちます。
飛行機が30分近く遅れるトラブルもあったけど、贅沢に待つことができました。このラウンジがすごかったんですが、それはまた別の機会に…
飛行機は無事に長崎に到着。とりあえず荷物を預けに宿泊先の「海の健康村」へ。まだ、誰が誰だかわからない、そんな感じでしたが、とりあえず参加者で記念撮影。
そして、まず宿泊先に荷物を預けて向かった先は樺島灯台公園。
細い道を車で15分くらいでしょうか。満開の桜が迎えてくれました。桜越しに、軍艦島も見ることができましたが、写真だとわからないかな…
公園では平均年齢82歳という樺島ハイヤ節保存協会の皆さんに樺島ハイヤ節という伝統的な踊りを見せていただきました。もちろん、見ているだけじゃなくて、一緒に踊ったり、振り付けの由来を伺ったり…
大漁旗を衣装にしたおじさんも登場! なるほど、樺島は漁師の町なんですねぇ。
まだ参加メンバーのことも知らない状態で、みんなでワイワイとやるって、ちょっと気恥ずかしかったんですが、シャイは損ですね。どんどん踊りに参加して、結局、メンバーみんなで踊ってました。なんだか、こういうの懐かしい気がします。笑顔で唄って踊って…
ハイヤ節保存協会の皆さんにお礼をして、次に我々が向かうのは軍艦島。雨は降ってなかったけど、しっかりとした曇天で若干肌寒い中、出航です。
今回は桟橋の掃除と通路の点検ということで、普段は上陸できない軍艦島に入ることができました。
夕暮れ時なのですが、曇天のため、ただ、暗くなるばかり。こういう時はモノトーンで撮ると映えますが、ちょっと淋しさもあります。
軍艦島とは…
長崎県長崎市(旧高島町)にある島である。かつては海底炭鉱によって栄え東京以上の人口密度を有していたが、閉山とともに島民が島を離れたため、現在は無人島である。1916年(大正5年)に日本で最初の鉄筋コンクリート造の集合住宅「30号棟」が建設された。この年には大阪朝日新聞が端島の外観を「軍艦とみまがふさうである」と報道しており、5年後の1921年(大正10年)に長崎日日新聞も、当時三菱重工業長崎造船所で建造中だった日本海軍の戦艦「土佐」に似ているとして「軍艦島」と呼んでいる。
ということで、今は廃墟なのですが、とても個性的な歴史、そして現在も個性を発揮している島なんですね。
1時間も滞在していないでしょうか… 暗くなってきて、雨が降りそうということで宿泊先に戻りました。軍艦島の中は入れる範囲も決まっているので、ほどよい時間だったかな。
そして、宿泊先に戻ったら晩ごはんです! たくさんのお魚とお酒をいただき、自己紹介などもして普通に終了…
でも、夜はこれから! 地元のお酒を売店で買ったら、部屋飲みに突入!
次の日は6:30出発なのにも関わらず、みんなで1時過ぎまで飲んでました。旅と酒、いいですね。
最後はお風呂上がりのパジャマ姿女子をお姫様抱っこしてフィニッシュ!
2日目(5:50起き!)に備えて、眠りにつきました…
おじさんの目線
お酒を飲んでからじゃないと友だちになれないんです。
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