沖縄に移住して5月で4年になります。暮らしはじめてから、沖縄のいろいろなことが知りたくて、現地に行ったり、人の話を聞いたりしてきました。4年前は今の政治がこんなにこんがらがると思っていなかったですし、インバウンドのお客さんもここまで多くなかったですし、この4年で変わるものは変わるもんだなぁ、と思っていますが、どうも沖縄の人たちの性質を捉えているものをあまり見かけないので、僕が思う性質を書いてみようと思いました。
琉球時代の気質みたいなもの、国民性、民族性みたいなものがいろいろなことに当てはまると思っていて、それを理解することが大事なんじゃないかなと考えているんですが、そこに触れる人があまりいないんですよね。その気質とは「しなる竹」というか「受け流すスキル」というか…
そもそも中国と日本の間にあった琉球王朝なので、船での通り道、要衝だったわけです。しかも、中国よりも日本よりも小さい国なのに、約500年も侵略されずに生き残りました。なので、中国の文化も日本の文化も取り入れた(むしろ中国寄りの)琉球独自の文化があります。
琉球王朝は「中国に忠誠を誓うのか?」「日本に加わるのか?」と両者から圧力をかけられつつも、「受け流すスキル」で回答を回避し続けますが、最終的には痺れを切らした日本に組み込まれることになりました。この時も戦争をして、たくさんの人が死んで侵略されたわけではないんですよね。当時の琉球の方々がどんな思いだったかはわかりませんが、人が死なずに約500年続いた国が滅びた、というのはあまり例が無いんじゃないかと思います。(ただ、その後の第二次世界大戦において、とんでもないことになってしまうんですが…)
沖縄には本土では考えられないくらいのすごい元気な台風が来ることがありますが、その時はまさに受け流します。立ち向かうのではなく、受け流す。余計なことをして傷を広げるよりは、過ぎ去るのを待つ。(ちなみにすごい台風が来た時も、台風による死者は少ないそうです、沖縄。みんなわかっているんで外に出ないからですって!) という自然との付き合いもそうですし、政治的にもそうですし、沖縄の人の会話の中にもそんな気質が見られる気がします。沖縄の言葉が全体的にやさしいイントネーションなのも、対立を避ける要素になりそうですし、時々話題になる「だからよ〜」という沖縄の言葉も受け流しのひとつかな、と思います。アンサイクロペディアですが、こんな解説があったので引用します。
だからよ(dakarayo-)とは、鹿児島県や沖縄県で多用される便利な言葉。非常に頻繁に用いられる言葉だが、未だに他言語に訳せない難解な語句である。他の地域においては全く使用されず、意味も通じないため、日本語であるかどうかは議論の余地がある。
参照:アンサイクロペディア
会話をしてて「だからよ〜」が出ると、その会話は”まとまった”とされて、終わります。それに対して異を唱えたり、さらに追求したりはしません。これも対立や拒絶を避ける会話術なんじゃないかと思っています。
東村・高江の住民たちの姿を記録した『標的の村』という映画に関して、東村の人たちにお話を聞いた時にも「受け流す」「過ぎ去るのを待つ」ということを感じました。そもそもこの映画は、オスプレイの着陸帯(ヘリパッド)の建設が進む東村・高江を「標的にされた村」としているんだけど、誰の標的なのか、僕は見ていて疑問を持ったし、今となっては「活動家たちの標的」になっているんじゃないかと思う。そんな映画ですが、あの映像に出てくる人たちが、東村の中ではマイナーなのか、メジャーなのか、どういう人たちなのか疑問を感じたこともあって、東村の方にお話を聞いてみたんです。
「『標的の村』って見ましたか?」と伺ったところ、僕がお話した方(8名)、みなさんが見ていないということでした。これはちょっと驚いたんですが、理由を聞いてみたところ、「それを見るってことは同じ土俵に上がることになるし、見るに値しないでしょ?」と。東村の人々にしてみれば、関係無い人が自分たちの生活圏に集まってきて、ここに問題がある!と騒いで、東村を不名誉な形で発信して… という印象のようでした。「もちろん、ヘリパッドの建設なんて無い方がいいし、米軍の基地も演習も無い方がいいけど、もう決まって進んでいるんだから、自分たちもそれに合わせて生きていくのがどちらかというとベターでしょ」と。逆に、東村民として活動家の人たちに抗議をしないのかを聞いたところ「ヘリパッドが出来てしまったら、彼らはどこか別の場所に行くでしょ? そうしたらやっと穏やかな東村に戻るからそれを待ってる」とのことでした。お酒を飲みつつだったので、本音が聞けたかなと思うのですが「面倒なブロガーが来たな」と思われて、あしらわれた可能性も無くは無いですけども…
中国と日本の間で「しなっていた」琉球ですが、しびれを切らした日本が力を行使して折れてしまったように、しなることでどんどん要求が増えて、そのうち折れてしまうのではないか、と考えることもあります(だから時には拒絶も必要なのではないかと…)。そもそも、しなる竹にはしっかりとした根が必要で、沖縄にとっての根とは、その歴史の教育だったり、思想だったりすると思います。沖縄の人って、毎日沖縄のことを想って生きているんですよ。これは千葉県出身で、千葉のことなんて考えたこともない僕からするとすごいことなんです。まあ、尖閣諸島だったり、辺野古だったりのニュースを見かけない日は無いくらいだし、何かと触れる機会が多くはあるんですけど。音楽もね、沖縄をテーマにした歌ってすぐにいくつか思い浮かびますし(千葉の歌なんて「想い出の九十九里浜」くらいしか…)、その歌は根が育つ栄養になっている気がします。その根があるからこそ”しなる”ことができるんですが、それでも折れる時があるから心配です。爽やかな風にそよぐ竹であってほしいです。
気質が影響しているのかどうかはわかりませんが、沖縄に対して「それはどうなの?」と思うこともひとつだけ最後に書いておきたいと思います。
ショッピングモールばかり作りすぎ!
土地が空くとショッピングモールを作っているイメージがあります、沖縄。これは経済の話なので、誰がどうコントロールしているのか、コントロールできるかもわかりませんけども… ただ、インバウンドの観光客が増えてて、彼らは「日本の沖縄」に来ているので、ショッピングもするだろうし、大箱のお店は必要なのもわかるんですが、それにしても移りゆく世の中で、そんなに作ってどうする、みたいなのはあります。沖縄に住んでいる人の数は決まっているのに、そんなに作ってどうするんだ、沖縄!
おじさんの目線
沖縄の気質に乗じて、竹を折ることがあってはならないと思うのです。